その後、日清、日露戦争をきっかけに、我が国でも次第に缶詰産業が発展することとなり、大正時代から昭和時代にかけて、我が国の缶詰生産量は大きく増加することとなりました。 しかし、当時の缶詰産業は輸出産業としての位置づけが大きく、販売の対象となっていたのはもっぱら欧米諸国でした。そこで、缶詰の国内での消費拡大を目的に1922年(大正11年)に現在の缶詰協会の前身となる「缶詰普及協会」が設置されました。協会では缶詰の品質向上や国内においての普及啓発を図ることを目的に、品質の優良な缶詰には「推奨マーク」をつけるなどの活動を行いました。こうしたマークを貼付することを例に見るように、我が国の缶詰業界では早い時期から消費者の利益を主眼とした活動を行っていることがわかります。
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